学芸員だより

2014年05月24日

多田智満子の著書

「羊であったか/海豚(いるか)であったか/金いろの背にまたがって/少年はオーボエを吹いた/メロスは亜麻いろの捲毛(まきげ)を溶かし/ながいまなざしをとかして/稀薄(きはく)な波となる/そのゆるやかな襞(ひだ)をわけて/アルゴオはすべり/黄昏(たそがれ)めいた古代の恋のなかに/すがたを消した」(「古代の恋」)

多田智満子(ただちまこ)の第一詩集「花火」に収録。ギリシア・ローマなど西洋古代文明についての深い知識を現代詩に昇華した。日本の風土や日常性から離れた神話的な作風は、戦後詩史において異色である。

一九三〇(昭和五)年、旧若松市生まれ。父の転勤により少女時代を京都や東京で過ごす。五一(同二十六)年に東京女子大学英文学科を卒業後、慶応義塾大学に編入学、西脇順三郎らに師事。後に澁澤龍彥も加わる同人誌「未定(みてい)」に参加。五五(同三十)年卒業。翌年結婚、神戸に移る。同年、第一詩集を出版した。

第三詩集「薔薇宇宙(ばらうちゅう)」では、精神医学実験の被験者としてLSDを服用し、薔薇の幻覚を見た経験をつづる。「花芯(かしん)を軸に旋回しひらきつづけるこの宇宙」「私から産まれ私を産みつづけるこの花」「宇宙は一瞬のできごとだ」「この一瞬には無限が薔薇の蜜のように潜む」。彼女の詩作は、宇宙や生命の根源に触れんとする試みだった。

翻訳者としても活躍。特に初の訳書「ハドリアヌス帝の回想」で、フランスの女性作家ユルスナールを日本に初めて紹介した功績は大きい。雄渾(ゆうこん)な訳文は、三島由紀夫をして「多田智満子って、ほんとに女なのか」と言わしめた。

優れた随筆も多い。随筆集「鏡のテオーリア」は、鏡をめぐる本格的な論考として注目を集める。「鏡が古今の人間の心に、どのような方向への視野を開き、どのような禍福を招来したか、どのような光と迷宮とをもたらしたか」。東洋・西洋の芸術文化を自由自在に駆け巡る考察だ。

詩集「長い川のある國」で読売文学賞など、受賞多数。八七(同六十二)年から、尼崎市の英知大学(現聖トマス大学)で教授を務め、二〇〇二(平成十四)年に退職。翌年がんで逝去。「葉が枯れて落ちるように/人は死ねないものか すぎてゆく季節のままに」(「葉が枯れて落ちるように」)とうたった詩人は、最期、自ら延命治療を断ったという。

多田智満子の著書

多田智満子の著書

(元学芸員・佐藤響子)

※2008.08.09「西日本新聞」北九州京築版に掲載

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