学芸員だより

2014年05月24日

青井史の著書

 ヨット一艘(そう)丸ごと洗ひたし十一月の洗濯日和どこまでも青

 清々(すがすが)しい秋晴れを詠む。青井史(あおいふみ)の第三歌集「月の食卓」冒頭の一首。「水族館人間くさき魚ばかり髭ある口もて鯔(ぼら)寄りてくる」「身に負ふ針いたしかたなし自暴自棄八方破れの仙人掌(サボテン)が好き」など、自由でユーモアにあふれた歌が続く。

 一九四〇(昭和十五)年、小倉生まれ。五二(同二十七)年、名古屋に転居。歌との出会いは、中学二年の時に入った短歌クラブ。本格的に作歌を始めるのは、洋裁学校を卒業後結婚し、二人の男の子の母となった後である。

 七七(同五十二)年、書店で馬場あき子歌集「桜花伝承(おうかでんしょう)」に出会い、翌年馬場主宰の歌誌「かりん」に入会。八一(同五十六)年、第一回かりん賞受賞。二年後、第一歌集を刊行。「かりん」の編集委員を務めるようになる。

 妻としての自分や、夫、息子を詠んだいわゆる家族詠をよくした。

さらば妻も職業の一つ逆さまになりて朝の浴槽を洗ふ

やがてひとりの女人のために生くるべしわが背をはつか越えし少年

 九四(平成六)年、「かりん」を退会し、翌年歌誌「かりうど」を創刊主宰する。

 二〇〇〇(同十二)年、第四歌集「青星(せいせい)の列」を出版。年齢を重ね、自身や夫の両親の死を体験。孤独感や命の儚(はかな9さが詠み込まれる。

梅林といへど群れてゐるでなしひと木ひと木の紅梅孤独

とりかへしのつかないことをして生きる生なり紅梅いま真つ盛り

 与謝野鉄幹の歌「伊勢の海ほのかに富士の雪を負ひ古き能褒野(のぼの)の白鳥(しらとり)帰る」に偶然出会い、「こんなスケールの大きい、そして悲しみ深い歌を詠む歌人だったのか」と感動。〇五(同十七)年に評伝「与謝野鉄幹」を出版、翌年日本歌人クラブ評論賞を受けた。

 晩年は、がんに冒されながらも仕事を続けた。

ともすれば解体しさうな総身を帯にくくりて人に会ひゆく

 〇六(同十八)年十二月、「かりうど」終刊号を発送した二週間後に帰らぬ人となった。享年六十六。

遺歌集「天鵞絨(ビロード)の椿」には故郷を訪れた際の歌も収録。

響灘とよむを聞きて戻り来つ一瞥(いちべつ)がよし故郷といふは

青井史の著書

青井史の著書

(元学芸員・佐藤響子)

※2008.10.25「西日本新聞」北九州京築版に掲載

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