学芸員だより

2014年03月19日 カテゴリー:

松本清張「三分の一の人生」

作家・松本清張の誕生は四十一歳の折。かなり遅いデビューとして知られる。怒濤(どとう)の勢い、というが、たとえば四十歳を過ぎて七百冊以上の本を上梓する。自分なら、という仮定を許すスケールだろうか。

小倉を故郷とする清張が生まれたのは一九〇九(明治四十二)年。読書好きの賢い少年は、印刷所の版下工から、やがて大小説家となった。

既に、人気作家という言葉では生ぬるい執筆を続けていた清張に、その間の時期を振り返ったエッセーがある。

六五(昭和四十)年執筆の「三分の一の人生」。朝日新聞西部本社旧友会より刊行の随筆集「河豚のひれ」へ寄せられた。人生を六十年として、その三分の一を朝日新聞社で過ごした、という内容。本の題字やカットも担当した。文章は後、雑誌「九州人」の創刊号にも収められる。

直筆の原稿には、走り書きながら、美しい文字が並ぶ。若き清張は、良い版下を書くため、毎夜習字に励んだ。作家になる前も後も、常に向上を課した人だったという。

小倉の砂津に朝日新聞九州支社が新築移転したのは三七(昭和十二)年。一念発起した清張は、直接支社長に申し込み、広告部意匠係臨時嘱託の契約を交わす。正社員となって、すぐに応召。戦後、復職した。図案家として活躍する一方、懸賞応募した小説「西郷札」が入選。作家への道を踏み出す。続いて発表した「或る『小倉日記』伝」で第二十八回芥川賞を受賞。二年半の東京本社勤務を経て、五六(昭和三十一)年、作家業に専念するため、退職した。

「文化の殿堂」と呼ばれたまぶしい新社屋、「高級社員」たちへの気後れと羨望―。エッセーは、自叙伝とされる「半生の記」に重なるが、そこに暗く濁った生はない。朝日時代は「青春」、「どうしてなつかしまずにいられよう」。

努力に関わらず与えられる、貧しさゆえの屈辱。「半生の記」は、作家個人の実録という以上に、当時を生きた多くの人の声をすくう「作品」なのだろう。「黒地の絵」、「日本の黒い霧」、「黒革の手帖」など、清張には「黒」をモチーフにした作品も多い。時代のルサンチマン(怨恨、憎悪)の端的な表象が力を持った。

来年は生誕百年を迎える。

 

※2008.04.12「西日本新聞」北九州・京築版に掲載

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