学芸員だより

2014年03月20日 カテゴリー:

俳誌「花衣」

花衣(はなごろも)ぬぐやまつはる紐いろいろ

大正から昭和初期に活躍した女性俳人・杉田久女の代表句である。

「花衣」は花見に用いた着物を指す春の季語。花見が果て、帰宅した女性が姿見の前にたたずむ。脱衣の際、滑り落ちる紐の色彩に透ける、さきほどまでのにぎわい。華やかなけだるさが伝わる。久女の師、俳人・高浜虚子は「男子の模倣を許さぬ特別の位置に立」つ句と激賞した。

一九三二(昭和七)年、「俳句修行」の「道場」として、雑誌経営を決意した久女は、誌名にこの語を選ぶ。季節は三月、草萌(も)え。今度は余韻でない「花衣」そのものの、むせるような充実感がみなぎっていた。

久女は、一八九〇(明治二十三)年五月三十日、鹿児島市生まれ。父の転勤に伴い、沖縄、台湾での暮らしを経て、女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)附属高等女学校を卒業。旧制小倉中学の図画教諭を務める杉田宇内(うない)と、十九歳で結婚し、俳句の道に進む。家庭生活の存続に腐心し、泣き暮らしたというが、それをも糧とし、佳句を生み出した。

絵にも長(た)けた久女は「花衣」で、挿絵、彩色も手掛けている。特に、創刊号表紙は一冊ずつ手描きのあしらい。毎号、季節にちなんだ風物が描かれ、かれんな装いだ。すべて和紙を使用した「特装版」も残っている。

投句、寄稿には、俳人の竹下しづの女、橋本多佳子、中村汀女、丸橋静子、久保より江らが名前を連ねる。久女が、ほぼ毎号にわたって評論や鑑賞を執筆しているのも特徴的。

自身、菊枕や楊貴妃桜を詠んだ連作を残し、読者の評判も上々だった。が、雑誌は一九三二年九月に刊行された五号で突如、廃刊となる。久女いわく「滞りがちの家庭の事をも、も少し忠実にして見たく存じて居ります」。

しかし、そこへ待っていたのは四年後の一九三六(昭和十一)年、師・虚子の主宰する俳誌「ホトトギス」からの同人「削除」通知。同人に加えられて四年後の処分は、理由の告知もない衝撃だった。以後、久女には悲しみの日々が続いたという。

「花衣」は俳人・杉田久女が、最も花開いた時季の夢の跡かもしれない。

 

※2007.10.13「西日本新聞」北九州・京築版に掲載

俳誌「花衣」

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